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2016年8月号 結婚宣言

2016年8月号 結婚宣言

2016/08/17

    『この度結婚することになりました。』英樹は高校時代に家庭教師で御世話になった圭一先生に挨拶に行った。もうあれから10年の年月が流れていた。覚えてもらっているか不安だったが、いつものように先生は優しく微笑んでくれた。あの頃先生はK大学医学部の学生で、英樹は進学校に在籍していたが、授業についていけなくなっていた。今だから話せるけれど、英樹と同じ位の成績だったT君は留年して、退学した。頑張ろうと思うけれど、頑張れない。当時の英樹は自分に甘くて、何事も中途半端だった。圭一先生は、21時に勉強が終った後、いろいろな体験談を話してくれた。どうして勉強するのか、スポーツでの挫折、猛勉強した受験時代のことなど、自分の失敗談も含めて熱く、時にユーモアを交えて話してくれた。成績不振で心配をかけた時など、午前0時近くまで、真剣に向きあってくれた。またある時は夏休みの数学の宿題の模範解答をたった一日でつくってくれた。当時圭一先生のことを尊敬していたが、今冷静に考えると、圭一先生が僕にしてくれたことは、いい意味で常軌を逸していた。時代はバブル景気にわいていた。先生にはもっと違った時間の過ごしかたが、あっただろう。医学部の勉強はどうしていたんだろう。
英樹は28才になっていた。自分が当時20代前半だった圭一先生より年上になって、やっと少しは先生の本当に伝えたかったことが見えた。
先生は単に英語や数学を教えてくれていたのではない。人としてどう生きていくかを伝えたかったのではないか。あんなに他人のために頑張れないかもしれない。でも
こんな自分にも守るべき人ができた。先生は期待に添えなかった自分をどう思っているのだろう。あの頃の自分の言動は今から考えると恥ずかしい。でも圭一先生は見守ってくれた。先生と過ごしたあの時間は貴重だったことにやっと気づいた。 あの人は自分に絶え間なく愛情を注いでくれていたんだ。 いてもたても いられず、英樹は新横浜駅に向かった。これまでの自分に決別しようと心に決めた。