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2017年6月号 優しい嘘

2017年6月号 優しい嘘

2017/06/12

嘘をつくことは悪いことだが、嘘も方便というように、時と場合によっては嘘が必要なことがある。医療の現場で以下のような場合はどうだろう。

患者さんは癌の末期で死期が近いことは、本人も御家族も理解されている。除痛目的で薬剤を使用しているが、時に痛みが強く、呼吸があらくなる。娘さんが病床で、身の回りの世話を献身的に行われていたが、仕事に出られている間に病状が変化し、呼吸が苦しそうである。主治医は懸命に治療にあたりベストを尽くしたが、呼吸が停止し、間も無く心臓が停止した。延命処置は行わないことは生前に確認済みであったので、主治医が死亡確認した。やがて職場から病院に一番に駆け付けた娘さんは主治医にむかってこうたずねた「母は最期は苦しまずに亡くなったんですよね。」呼吸や脈拍や表情は医学的にみて患者さんは苦しそうではあった。こういう場合あなたが主治医なら何と答えるだろう。

経過を客観的に説明し、苦しそうだったと答えることは、ペーパーテストなら正解なのだろう。真面目で情報は正確に開示しないと考える医師は実際にいて、本人は職務を誠実に行なったと思っているのだろう。しかしそれで残された家族はどう感じるのだろう。死が避けらないのはわかっているが、苦しまないで欲しいという思いが家族にはある。幸せな人生であったと思って旅だったのであろうかという気持ちがある。何を言っても、もう患者さんは戻ってこないのである。治る可能性があるなら厳しい現実でも、主治医は説明して、共にすすむべきであるが、患者さんが亡くなられた今、必要な言葉は「安らかに眠るように亡くなられましたよ。」それが客観的でないというのなら、「御家族に愛されて、幸せな最期であったと私は感じました。」という主観的な言葉でもよいのかもしれない。その言葉は客観的な事実からすると「嘘」かもしれない。以前のように告知すると患者さんがショックをうけるだろうと胃癌を本人に告げずに胃潰瘍として治療するようなことは今はもうない。治療にマイナスになる嘘や事実の隠蔽はよくないけれど、医療者のためではなく、ただ相手のためを思い、つく愛のある「美しい嘘」はあってもよいと思う。