2021年3月号 挫折を乗り越えて
2021/03/15
次の文章を英訳しなさい
言うまでもなく、転ばぬ先の杖は大切である。しかし、たまには結果をあれこれ心配する前に一歩踏み出す勇気が必要だ。痛い目を見るかもしれないが、失敗を重ねることで、人としての円熟味が増すこともあるだろう。あきらめずに何度でも立ち上がった体験が、とんでもない困難に直面した時に、それを乗り越える大きな武器となるにちがいない。
2021年ある有名大学の入学試験問題です。受験生に対して大学からのメッセージが込められた問題で、合格者はもちろん不合格者も胸に刻んだことでしょう。入試は言うに及ばず、就職やスポーツの勝敗まで、人生では様々な場面で負けを経験することが圧倒的に多い。もし負けたことがないなら、それはチャレンジをしていないのかもしれません。10代ではともかくある程度の年齢になると、失敗したことがないと言える人生はある意味不幸で、失敗を克服したことがある人生の方が、それを糧に生きていけるから、人生の後半戦をうまく生きることができるでしょう。人の心の痛みを理解できる人物に成長できる。
私は10代の頃進路に悩みました。小学生の卒業文集に将来の夢医師と書き、公立中学から地元の進学校にすすみました。高3の1学期に行われた模擬試験で校内1位になって、医学部進学が現実問題になった時、はたして自分が医師に向いているのかと考えるようなり、その後迷走しました。
例えばこういうことです。10人の受け持ち患者さんのうち、早朝1人の患者さんが亡くなられたとします。どんなに悲しく、辛くとも残りの9人の患者さんには何事もなかったかのように、朝から切り替えて接していかねばなりません。それができるのがプロだと考えましたが、感受性の強かった当時の私は弱く、そのような切り替えができないように思いました。情にながされてしまうのです。
進学したい大学も学部もなくなってしまった私は合格した有名大学に進学せず、自主的に浪人生活に入りました。自分の進路について考える時間が欲しかったのです。すぐに結論はでませんでした。私の兄は子供の頃から身体が不自由でした。治らない病気があることを子供ながらに理解していました。どんなに努力しても救えない命に直面する場面に遭遇する医師という職業が私につとまるのか自問自答しました。医師になりたい受験生は定員の少なくとも10倍はいます。その多くの悩みは学力と学費です。私は次元の違う悩みで医学部受験をためらっていました。しかしそれは私の宿命からの逃げではないかと、思いきって学力的に可能であった超難関校医学部への受験を決めました。研究医として生きていくことも考えていました。これで合格すれば単なる自慢話なのですが、不運にも不合格になってしまいます。現役で医学部に進学している高校の同級生もいましたし、自分の将来を考えると底知れぬ不安に襲われました。
もう浪人で時間を費やすのはもったいないと、確実に入れるだろう地元の医学部を第一志望にしました。もう新たに勉強することもなく、模擬試験でもA判定を10以上うわまわる偏差値をとり続け、これなら楽勝だと楽観視していました。1年まるまる無駄にしたなと考えていましたが、ここから劇的なシナリオがはじまります。センター試験で大失敗してしまい一気にピンチに陥ります。高校の担任にも医学部を受ける点数ではないと酷評されましたが、事実ですから仕方ありません。しかし不思議なことに自信と覚悟がありました。これは神が与えた試練だと考えました。逆転するためにはケアレスミスもできないというギリギリの状況で国立大学2校に合格しました。実力通りあっさり合格していたら、この1年は無駄だったと感じたのでしょうが、最後に受験の神様はピンチに陥っても自分を信じろということを教えたかったのでしょう。一生懸命に頑張って不合格になった1年も、たまたまではなく必然的に起こした大逆転劇も私にとって宝物のような時間と経験です。
危ぶむなかれ。一歩踏み出せ。そして覚悟を持って最後まで諦めるな。これが若い世代への私からのメッセージです。