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2021年10月号 世紀の発見は逆境から生まれた

2021年10月号 世紀の発見は逆境から生まれた

2021/10/19

 新型コロナウイルスワクチン接種は希望者の2回目接種が年内にも終了しそうです。最近は集団接種会場でも10代の学生さんの比率が増えています。常識的には、ワクチン開発に数年はかかると考えられていましたが、わずが1年で極めて有効なワクチンが開発されました。どうして短期間に開発が可能であったのか「世界を救うmRNAワクチン開発者カタリン・カリコ」という新書を読んでみました。

 女性科学者のカリコ氏はハンガリー生まれで40年以上mRNAの研究に従事してきました。生物が学生時代より得意で好きであったためハンガリートップレベルのセゲド大学理学部へ進学し、博士課程で仲間と共にRNAの研究を始めます。しかし1980年代に入るとハンガリー全体が景気の後退、停滞に陥り、研究活動が行えなくなりました。研究グループは解散となり、海外で研究を続けようとする仲間も多く、キリコ氏もヨーロッパでは職を得ることが出来ず、1985年30歳の時に米国に家族と移住して研究を続けます。当時の政治状況により、わずかな外貨しか所持できなかったため、娘のテディベアの背中を切ってお金をしのばせて出国します。渡米後も大学のポジションの降格など数々の挫折を経験しながらもRNAの研究を続けます。画期的な発見をした後も大学では冷遇されていました。

 キリコ氏の発見は大きく2つあります。m RNAの研究はキリコ氏が渡米した頃より研究されており、人工的にm RNAを作って細胞の中に入れれば、タンパク質を作ることができて、それが薬などを作る際に利用できることはわかっていました。しかし細胞に入れると激しい炎症反応が起きて、細胞も死んでしまうため、安全性の観点からm RNAを使った薬を人間に投与する臨床実験は不可能と考えられてきました。RNAの観察よりヒントを得たカリコ氏は炎症を抑えることに成功しました。また壊れやすかったm RNAを脂の膜に包むことにも成功しました。ファイザーやモデルナはこの技術を活かしてがんに対してのワクチン開発の研究をすでに行っており、ワクチン開発の下地があったため短期間で新型コロナウイルスのワクチンを開発できたようです。

 ではm RNAとは何か。m RNAは特別なものではなく、普段から私たちの体の中で使われています。体内には無数の細胞があって、一つひとつの細胞には核があります。この核の中に体の設計図であるDNAがありますが、そのままでは使えません。m RNAはDNAの情報をコピーして使う役割を担っていて、核の外にあるリボソームに情報を読みとってもらいタンパク質をつくります。タンパク質の合成工場とも言えるリボソームに情報を届ける役割を担っているため、「メッセンジャー」 RNAといわれます。この原理を使って今回のワクチンは作られました。人工的に作ったm RNAを脂質の膜で包んだものが今回のm RNAワクチンです。「コロナ」とは「王冠」の意味で新型コロナウイルスは丸い形の周りがトゲトゲした突起に囲まれています。ワクチンを注射するとウイルスと同じ突起を作れという情報(m RNA)が細胞に入り、リボソームがその情報をもとにウイルスの突起をたくさん作り出します。細胞の外へ出て行くと免疫細胞が、その突起にくっつくタンパク質、すなわち抗体を作りだし、人間の細胞に侵入できなくなります。

 今ではノーベル賞に最も近い研究者といわれるようになったカリコ氏ですが、少し前まではm RNAの研究ではなく、オリンピアンの母としての方が有名でした。2歳で米国に渡った娘さんはボート(エイト)のオリンピック金メダリストです。2008年北京、2012年ロンドンの2大会連続で勝利を勝ち取りました。今後について、学生時代にロックコンサートを行なっていたカリコ氏はこう話しています。「科学者はロックミュージシャンみたいなものです。彼らが生涯歌い踊り続けるように、私もリタイアするつもりはありません。生涯研究を続けます。」